今日8

約200日ぶりでこの間に色々とおきた

すぐなんか初めてすぐ飽きてふらっと戻ってくる事を繰り返してる。これみたいに

ただの電子的な記録だからなくなることはないんだろう

別に紙媒体にも記録つけてるからどっちかに統一すりゃいいのにと自分で思う

どっちでも一緒のことは昔に書いたのをみて自分あほだなあと思うことである。

 

今日7

まず、田舎からひとり都会の試験会場へ行ったとき

台風が近づいてたからいつもより人が多かったのもあると思うけど、この人達っていうか人々は何を考えてるのかなーとか、何が生きがいなのかなーとかたのしいのかなーとか人ってなんだろーとか考えてた

 

今日は学校祭だった1日目

ライブというかイベント会社の責任者のかたと仲良くなったら、名刺をくれていいのがあったらメールしてあげるよと言われた

最近は空港ではたらくのもいいなって思い始めてる

今日6

前回はずいぶん前なので今回は長くなる。

覚えてること

・外国人の人に道を聞かれた・アメリカへ行った・勉強に対する態度

・自分の堕落さ・人間ってめんどくさい・バイトでの出来事・名言・将来のこと・やりたいこと

 

1,なんか感動した こういうとこで英語をすらっと使いたい

2,海外へ行くのは初めてだった。でも正直そこまでどきどきした記憶はない。一緒におったこのめんどくささがわかった。他の人を見て、ここに何をしに来てるんだろうと思って、いらいらした。私は何もかも英語で進めたかった。でも、結局日本語に頼っている自分、クラスメイトの意識のなさ。うざかった。自分も情けなかった。あの子がうざいと思うのは、いちいちいろいろ、私はどうせできんのやろうと決めつけるように、なんでもかんでも言ってくるところが、親父と似ているからだ。そこだけはどうも好きになれそうにない。アメリカに行ったことは自分にとって思ったほど、印象的ではなかった。結局自分の意識の問題が解決しないことには意味がないことがわかった。こうしようああしようこうすべきだそうしよう。思うだけで全く続いていなかった気がする。自分に厳しすぎるのだろうか。でもそんなのはわからない。まあいいや。結局どこへ行っても人は、自分というのは変わらないのだろうと思った。とにかく次海外に行くのなら、しっかり勉強した後に、一人で行きたい、行くべきだろうと思った。自分の性格上、目標を達成するためにも自分の身一つがベストだろうと考えている。

3,さっきも書いたけれど、いつも言うだけ思うだけで何も進んでいないように思う。そう簡単には変わらないか・・でもあがくしかない、できるまで。そう思ってる。一つ一つもっと軽い気持ちで、責任感も大切だけど、無理しすぎること、自分に押しつけすぎることはよくない。今は部屋を清潔に保つことを意識している。整頓、もっと利便性などをあげることは続けていく。次は勉強、(机に向かうこと+それ以外の勉強)学校の勉強だけでは進んでいかない。前へ。努力しなさすぎた自分を恥じるべき。頑張ってるけど、本気になることとか、続けることとかから私は逃げてると思う。今直さんかったら、大人になって本気でやりたいことができたとき、一番つらいと思う。私は努力が報われないという現実を突きつけられすぎたのかもしれない。そう思ってる。でも、努力していなかったという可能性もあるけどねw

4,ほぼほぼ他に書いてる

5,いろいろ思う

6,今日衝撃の事実をいろいろ知ってしまった。

バイトを始めた頃、私はほぼほぼの人から嫌われていたらしい。それも新人の頃の私は皆の人間関係を知るはずもなく、店長と仲良くしていた。しかしその頃店長は皆から嫌われており、シフト表も新人のくせにトップの方にいたことや、優遇されていることが嫌われる原因となったようだった。そんなことは私は一切気づいていなかったwwwwマジで笑い話である。笑いすぎで、私はほほが痛かった。やっぱ嫌われてたっていう事実はつらかったw私は人から自分がどう思われてるかってことには鈍感って言うことに気づきました。相当ね。まあ知らぬが仏いいことだと思って割り切る。

あと正直あの女がマジでうぜえ。結局女はっていうか人は顔なんだなあって。どうあってもかわいい顔で生まれたやつかっこいい顔で生まれたやつまあ美形は生まれながらにして運命人生が決まったようなもんなんだなあとよくわかるわ馬鹿野郎がくそがマジ死ねよってかんじだねうん。

私は居酒屋でわいわい仕事をするのが好きだ、だから忙しくなるとどんどん無口になって、もくもくと作業するやつはめんどくさくで、だいたいやりづらいと思っている。実若干気の利かないやつが多すぎてくそめんどくせえ。あと、シフトで忙しいときに入らないのがまじでうぜえ何様なのとか言ってるけど、所詮バイトだよねって割り切ってるつもりで言ってることと矛盾してるのに気がついてない人が多すぎる。入らない入れない結局それだけだろ、人集めりゃいい誰も入らないから入ってるのは君でしょう。結局みんなに優しく他の人のことを考えてシフトに入ってほしいというあなたのエゴなんでしょう。なぜそれに気づかないのか。不思議でならない。じゃあ入らんかったらええやろ自分の勝手にせえやてかそれでええと思ってる自分がおるんやろ?なあ?・・・といいたいが助かっているのは事実なのでまあ何も言わないで置こうと思う。とりあえずあからさまに嫌いオーラ近づくなオーラを出して、あと気を利かせず行動が遅くて仕事に支障をきたすやつは消えろと切実に思うね。

7,AD LIVEいっ豊永さんと森久保さんの講演をみて、やっぱ自分を表現することをしてみたいなって思った。やっぱ舞台がすき、どこへいってもどんな職でもきらきらしてる人はいるけど、私は多くの人一般大衆の人多くの人に認められたいのかなあって思った。一目見られてああこの人はこういう人なんだと思われるようなことをしたいのかなって思った。

今日5

この間数分間の間だけれど、意識を失った。人は簡単に意識飛ぶんだなあって思った。両親が心配して家に来てくれた。倒れてから、「漫画みたいな出来事だなあ。」って思ってたけど、ふと思い出すと涙が出てきた。やっぱ怖かったのかあと気づいた。記憶がないっていうこと、そしてそのまま死んじゃうかもしれないことが怖かった。ぶっ飛んだ想像かもしれないけど、十分にあり得ることだと思う。

休んでる間、死について考えるようになった。明日死ぬとわかっていたら今日の生き方は変わる。毎日気負うことはなくても、ふとしたときにでも思い出して、それまでの日々を振り返ることにする。

自分が愛されてて帰るとこがあるのを幸せに思う。将来どうなるかわからないけど、今心配しても意味ないし、疲れるだけで意味がない。自分をよくするための未来を考える。

倒れてからいろんな大人の方と話したけど、どうやら私は真面目らしい。気の抜きどころが難しい。昔からちょいちょい真面目だと言われてきたが、どこがそうなのかは未だによくわかっていない。わかるのは数十年後なんだろうと話していたら、「そうかもしれないね笑い私も未だに悩んじゃう笑。」的なことを四十を超えた事務のおばさまに言われてしまった。人生短いけど長い、ああ怖いなあと思いますね生きるのが。常に思ってる気がする。まあそんなことを思っても意味がないから、普通にやりたいことやって生きていきたいと思います。そういやリアリストだとも言われた。それは父親譲りだと言っておいた。不思議と笑えてしまった。

今日4

日々はとにかく早く過ぎる。朝が来て遅刻しないように職場や学校に行き、時間が過ぎ、夕方となり、だらだらと過ごし、眠るといつの間にか朝が来る。あれっと思っていたら、一週間が過ぎ一ヶ月が過ぎ一年そして、人生が終わる。極端な話だが、下手をするとそうなると思う。目標を持って!時間を大切に!なんてほんと難しい。でもそうしないと世の中の何にも考えてない人の一人になってしまう。それが幸せではないとは言わないが、少なくとも私は、考えて生きる人間になりたい。

今日3

自分より遙かに年上の人に出会うと、何か強い生命力エネルギーみたいなものを感じる。もちろん誰にでもではない。そういう人に出会ったときは、なぜ今も生きていられるのかと問いたくなる。そんな問いは問い詰めれば一生かかってもわからないのだろうから、この話はおいておく。

自分の尊敬に値する人に出会うと、気づかぬうちにいろんなことを質問しようとする。

今日は忘れぬうちに書き留めておく。

「食べること、作ることを嫌だと思ったら、死ね!」食べていくから生きていられる。ありがたいこと。食べなかったら死ぬしかない。

「悲しむな、楽しめ。」

「なんとかなる。わからない未来のことを不安がってたって意味ない。」

いろんなアドバイスも勿論だが、そんな人に直接会って話をすることが、とても身になる。

「思い続ければ巡り巡ってくる。」

「語学は使ってなんぼ」

「可愛がられる努力」

尊敬できて自分が何かを得られる、人との出会いがとても嬉しい。

今日2

 今日は愛についての話。

家族と住んでるときも、離れて暮らす今も、なぜか悲しみとか虚無感とかを感じる。自分には、無意識に出てくる「助けて、お願い。」なんて言葉がある。私は誰に助けてほしいんだろう。何を、なにから助けてほしいんだろう。それの一つの案として、自分一人を思ってくれる、愛してくれる、いわゆる恋人なんてやつを考えてみた。

自分自身を愛してくれるなんて、恋人である必要なんてないだろうという意見も当然だと思う。でも私は恋人という概念について考えたい。

家族とも師弟とも友情ともその他諸々の愛と、区別すべきではないだろうがいろいろと違ったものが含まれていると思うのだ。だって、私が感じている様々な感情が何かしらの愛によって満たされるものならば、離れて暮らす今、そんな感情はなくなっているはずだろう。

恋人とは、「恋しいと思っている異性で、多く相思相愛の間柄。」「配偶者以外、肉体関係を持つ」とか書いてある。恋しいという感情は何か家族やそれ以外のひとに感じる者ではないだろう。「愛しい」なんてのもそうではないか。とにかく、家族とか友達とか年上年下いろいろそういう人からではなく、全く知り得もしなかった他人か、自分という人間を認識してもらい、最終的には愛を注いでほしいのだ。

改めて書くと、私は誰か認めてもらいたいと感じていることもわかる。私だけでなく、世の中の人々皆が思うことだろう。無意識にでも感じているはずだ。

プラトニックだったり普通だったり激しめだったり、いろいろあるが、私は愛を感じたいのだ。もう感じていたとしても気づいていない。そうだと断言できない。だからこそ愛を深めていく段階を、常に愛を、感じたいのだ。

ここまで来て、愛とは何か、というと、まあ自然に涙でも出てくるんでないだろうか。

私は知らない。