今日

 何もない休日には何の意味もないような一日を過ごしてしまうことが多い。何の意味もないと思っているのは自分だけかもしれないが。そういう休日というのは、なぜなのかはわからないがふさぎ込みがちになる。ということで、今日数分をかけて思想していたことについて書いておこう。これはただの日記だから、誰も見てはいない。意味不明なことを書いても、誰も文句は言わない。

 自分とはいったいなんなのだろうと考えることがよくある。何者なのか、ではなくなんなのだろうか、だ。者と形容する以前の問題だ。先日とあるサークルのイベントに行ってきた。まあやはり大学生になったからなのか、ドライな人が多く、少し居心地が悪かった。特別優しくも特別冷たくもないそんな人が多かった。まあ初対面なのだから仕方がないだろう。と割り切っておいた。でも、こんな時昔の自分ならもっと感情的になっていただろうと思う。こないだ読んだ本にこう書いてあった。「大人になるにつれて、感情は鈍化していく。」著者が言いたかったこととは違うかもしれないが、私が感じたことも間違ってはいないだろうと思う。普通に成長していくと、何事にも割り切ることが多くなる。期待外れだったり、予想外の出来事が起きたり、理不尽なことが起きたり。そうやって自分の感情を揺さぶり、この後の自分を変えてしまうような、そんなことが起きたときに、何事もなかったかのようにするために、人はそれらを割り切って生きていくのだろう。それがいいのかわるいのかは、わたしにはまだわからない。

 自我を強く持つようになってから気がついたが、私は案外目立ちたがりのようだった。ステージに立つことに憧れがある。しかし、おそらくこれは一般的なものなのだろうと思っている。今現在どこかのステージにたっている誰かさんのような努力をしていないのが、これを証明する証拠だろう。しかし、本当に、何千何万もの声援を受け光を浴び、ステージに立つのは夢である。しかし、そんな風な夢を持っているにもかかわらず、私は怠惰なときを多く過ごしている。本当に何かに魅了された者は、私のような甘っちょろい考えはない。その目標、夢に向かって一直線のはずだ。私のように、あれもこれもと手を出していることはないのだろうと思う。ここまで読んでくれたらわかるのではないだろうか。私は一直線に向かっていける、そのなにかを見つけたいのだ。この思いはきっと世の中の多くの人が、思っていることだろう。それが見つかればどれだけいいことか!きっとつらくも苦しい日々が来たとしても、乗り越えていけるのだろう。嗚呼、どんなにいいことか。

 

 先ほどまでいろいろと言っていた私だが、これらの主張を肯定するとともに、否定したい。夢や目標、希望勇気愛情その他諸々なんなんだ、一体。自分には夢がない目標がないなんぞ言ってる意味があるのか!?ちゃんと考えてみろよ!やりたいことあるなら、それに向かってけよ!失敗するのが怖いんだろう?自分の中の本気がわからないんだろういつ本気になっていたのか、そもそも本気になっていたのかもうわからないよなあ。でもそう言って自分を追い込みすぎじゃないか?ああもう何を言いたいのかわからなくなってきた。肯定も否定もしていないじゃないか。もうこの話は終わりだ。

 テレビをつけたら、十数人の人たちが同性愛者の結婚の権利について議論していた。私はゲイだろうがレズだろうがバイであろうが、好きになったやつといちゃこらしてセックスして時には喧嘩とかもして、愛し合えばいいと思う。だが世の中にはそう許してくれないやつもいるわけで。社会的なんとかがどーたらこーたらと言っていた。そいつの意見も確かにそうだ。私はそいつの意見に賛成な訳ではないが、そいつがおかしなことを言っていると非難されるのもおかしいと思う。そいつは社会のためを思って言っているのだから、いいじゃないか。まあ、そんなことを言っていたら、よい議論は交わされない。せいぜいこの国のためにも頑張ってほしい。